名古屋高等裁判所 昭和24年(控)1395号 判決 1950年7月17日
被告人
柳川大典
主文
本件控訴を棄却する。
理由
控訴趣意第一点(二)(三)について。
(イ) 原審挙示の証拠によれば原審のいわゆる宿泊遊興の利益なるものは要するに右溝脇きよ子の売淫及びこれに附随する宿泊の利益であり且つかかる利益の対価の請求は法律上許容し得ないものであることは正に論旨の通りである。而して性の自由は本来人格権の範疇に属しそれ自体財産的利益でないと解せられる結果その侵害となるのであつて財産権の侵害でなく従つて強姦が財産的侵害でなく人格権乃至貞操権に対する侵害となることがこの点から理解し得られる。然しながら本来人格権の内容をなす事項であつてもそれが慾望満足に供し得る場合その本人が任意にこれを経済的需要に提供することは人格自律上容認せざるを得ないのでありその場合に世上一般においてもこれを一の経済的利益となさねばならない。勿論かかる経済的利益は固有の経済的利益と異なり人格権とのつながりが密接であつて例えば強制執行が許されぬという様な点である程度の差異は存するがそのことはその経済的利益であることを否定する理由にはならない。例えば労働について考えて見ても人をして強制的に労働に服せしむるのは人格権侵害となるが雇傭契約に基いて提供される労働は一応人格権と分離されて一つの経済的利益とすることは何人もこれを怪しまないのであり且つ右の労働対価の請求は法の保護するところでもあるが偶何等かの理由でその対価の請求が法の保護を受けられない場合、例えば売淫における情交も矢張り一つの経済的利益たることに変りはないものとせねばならない。即ち売淫の対価の請求は公序良俗に反する事項を原因とする無効な請求として法の保護を受け得ないのであるが通常の経済的利益の対価の請求であつても、猶公序良俗に反する事項を原因とする無効な請求として法がその保護を拒む場合のあることからしても右の結論は是認されねばならぬのであろう。論旨は本件の場合恐喝罪成立を肯定するのは売淫なる公序良俗に反する行為を保護することになつて不当だというが、それは被害者の損害顛補を本質的目的とする民事上の責任と犯人の惡性乃至道義的責任の追究を本質的目的とする刑事上の責任と混同する誤に坐するものであり、民事上売淫の対価の請求を容認することは論旨のいう様に公序良俗に反する行為を保護するものであつて不当なことは明らかであるが、刑事責任としては被害者の保護乃至救済はこれを目的とせず当該犯人の惡性乃至道義的責任の追究を目的としてその為に被害者を或る程度に保護する結果を生じたとしてもそれは単に反射的作用に過ぎず、その反射的作用によつて生ずる害よりもその犯人に対する処罰が社会の秩序を維持する上により一層重要であると考えられる点において法の保護を受け得ない経済的利益についても財産犯の成立を肯定せざるを得ないのである。
同第一点(四)について。
(ロ) 財産犯の判示についてはその被害の対象、即ち財物乃至財産上の利益を確定明示するを以て足り必ずしもその被害額を明示する必要はないのであり、売淫の対価の如きは客観的にその数額を算出し難く結局その当事者間の協定なり慣行的に支払われる価格による外はないのであるが、原審挙示の証拠によれば本件程度の宿泊遊興の対象としては本件八百円位が支払われることが窺い得られるのであるから原審が本件の宿泊遊興の利益を八千円と評価したことは不当でないとせねばならない。
(控訴趣意)
第一点原判決は、
(一) 被告人は「雇女溝脇きよ子を相手として宿泊遊興しその代金八百円を不法に利得したるものなり」と認定しているも同人は雇女(やとな)に非らずして鬼頭まさ経営の喫茶店の女給である。やとな営業をなしおるものではない。
(二) 又宿泊料を利得したというも鬼頭まさも溝脇きよ子も旅館貸席を業とするものに非らず。溝脇は鬼頭方の一室を賃借しこれに起居しているものにして被告人の宿泊せしは溝脇の賃借せる部屋である。従つて鬼頭は勿論溝脇も亦宿泊料請求の権利なく宿泊に対する財産上の損害とか利得なるものは存在しないのである。
(三) 遊興費を利得したというも被告人は何等飮食等はなしおらずその遊興なるものの実体は溝脇と情交を遂げたるのみである。許可を受けて営業するに非らざる鬼頭は勿論溝脇も亦法律上これに対して金銭上の請求をなし得ないのである原判決のように論的に情交をなしたることを財産上の利得と解し得ないのである。溝脇は法禁を犯し不法に売淫行為をなしおるものの如くであるが若しその情交の相手が素人女であつた場合はどうか、これと情交をなすことを以て財産上の利得とは何人も云い得ないであろう。果して然らば一層強き理由の下に相手の女が法律上許容せざる売淫行為をなす者なる場合に於ては之と情交をなすことを以て財産上の利得を得たるものなりとして之と関係したる相手の男子を恐喝罪として処断することは出来ないことであるといわねばならぬのである。前者は保護に値するものと認むべきも後者の如きは之を保護すべき何等の理由も根拠も存在しない筈である、かかる者を保護するに於ては却て益々法の禁ずる売淫行為を助長し病毒の伝染と善良の風俗を破壊せしむることとなるのである。
(四) 原判決は右にいわゆる宿泊と遊興(情交)とを以て八百円と見積つているのであるがその見積の根拠標準如何法律上不可能事に属するものといわねばならぬのである。